「産んでから、ずっと本調子に戻らない」

産後1か月健診。赤ちゃんは順調でも、母親のほうが「疲れが抜けない、悪露がだらだら続く、何もするが起きない」と表情を曇らせることがあります。出産という大きな消耗のあとの、心とからだの回復期。授乳と睡眠不足が重なり、体はまだ元に戻りきっていません。ここに漢方がそっと手を添えられる場面は少なくありませんが、渡す前に確かめておくべき線がいくつかあります。

まず ― 産科的・精神科的なレッドフラッグ

漢方を考える前に、見逃してはならない線があります。発熱を伴う、悪露に悪臭がある、あるいは出血が大量で続く——こうした所見は、産褥感染症や胎盤・卵膜の遺残を疑わせます。これは産科的な評価と処置が先で、漢方の出番ではありません。

もう一つがのほうです。気力の低下が、単なる疲労を超えて、眠れない・楽しめない・自分を責める・赤ちゃんに関心が持てないといった像に及ぶなら、産後うつを念頭に置きます。希死念慮の有無を必ず確認し、疑えば精神科との連携を優先します。漢方で様子を見ているうちに、という判断は、この領域では避けてください。

証で読む ― 気血両虚と瘀血

産褥期の基本の座標は、気血両虚(気もも消耗している)と、そこに残る瘀血(分娩に伴う血の滞り)です。だるさ・気力低下・顔色の悪さは気血の不足、下腹部の重い痛みや悪露の遷延は瘀血——というように、訴えを軸に翻訳します。

「気力が湧かない」という訴えも、の目で見ると一枚岩ではありません。消耗による気血の不足(だるさ・顔色・食欲低下)なのか、心脾両虚(不安・不眠・食欲低下を伴う気分の落ち込み)なのか、それとも産後うつ(楽しめない・自責・希死念慮)なのか。前二者には気血を補う下支えが届き、後者は前述のとおり精神科との連携を優先する場面です。ここを見分けることが、漢方で寄り添える範囲と、連携すべき範囲との境目になります。

授乳期の方剤の考え方

産後の処方では、多くの母親が授乳中であることを常に前提にします。生薬の成分は母乳へ移行しうるため、母乳移行を考慮した選択が原則です。とくに大黄などの瀉下生薬は、乳児の下痢を招きうるので避けます。本章では、芎帰調血飲と加味帰脾湯が甘草を含むため、母児それぞれで偽アルドステロン症(血圧上昇・低カリウム血症・浮腫)に配慮し、他の甘草含有処方との総量も意識します(当帰芍薬散は甘草を含みません)。加味帰脾湯はさらに山梔子を含み、長期投与では腸間膜静脈硬化症の報告があるため、漫然と続けず経過を確認します。いずれも授乳期に用いやすい部類ですが、選ぶたびに「授乳中でも差し支えないか」を一度立ち止まって確認する習慣が安全につながります。